2012年12月29日土曜日

今考えていることをつれづれ書いていくシリーズ(テスト)

テストといえば波及効果、というほど、この言葉好きです。






波及効果。I love 波及効果.







そして、良い波及効果を生み出せるようなテストを生み出すことがまずテストの第一条件だと思うのです。








そして、そのためには教師として生徒にどういった能力を身につけて欲しいのかをしっかりと想定することが第一だと思っておる次第です。








本日は以上でするん。

2012年12月22日土曜日

机をホワイトボードに!

ただいま一人暮らし計画中で、家具を眺めるのが大好きなのですが、

やはり教師としてホワイトボードが家に欲しい!と思った訳ですよ!

そこで今日は一日中そのことを思考していたのですが笑、

たどりついた答えは、「机をホワイトボードにしてしまえばいい!」というものでした笑



これはなにも僕のオリジナルな考えではなく、ライフハッカーさんの記事を以前読んでいて、これを思い出したのです。

ここで僕が考えた案は以下の3つです。


①ホワイトボードデスクをDIYする

同じくライフハッカーさんの大事なことはテーブルに書く! メモやブレストに最適なホワイトボードデスクをDIYの記事をよみ、真似すればいいのでは?と考えました。

またこんな例も。

しかしながら、これは自分で作る分難易度高めだし、この材料が日本のIKEAにあるか疑問。。。ホームページで探したけど見つからず。。。


②ホワイトボードシートを貼る

これは割と現実的で、ホワイトボードシートと呼ばれるものを買ってきて机に貼付けてしまおうという作戦です。

ダイソーにあるものや、Amazonで検索をかけるといくつか商品がヒットしますのでこれらが狙いめ。

ただ難点は半年もすると汚れが目立ち消えにくくなってしまうらしいことです。。。

しかも今日柏のダイソーでは見つからず。ダイソーのホワイト−ボードコーナーで20分行ったり来たりしている僕を見る周りの目のまあつめたいことつめたいこと。まなれてるけどね。どや


③ホワイトボード塗料

そこで登場したのがホワイトボード塗料!!ジャジャーン!!

こいつはすごいっすよ!塗るだけでホワイトボードにするんだから、見るだけで相手を石にするというメデューサも赤面して逃げ出すに違いありません!!塗料だけに「トリャー(塗料ー)!」と退治してくれるでしょう!!!

こいつがその美しい姿です。

お値段なんと225米ドル!!これはメデューサなんて敵じゃないですよ!!たっけー!!



ここまで見てきて、新たな選択肢が目に飛び込んでくる訳です。

その名も黒板塗料。ということで第4の選択肢の登場であります。


④黒板塗料

黒板消しやチョークを合わせても3000円もしなそうです。これはイイね!!

しかして学校からかえってきてもチョークを見るというのはどうなのか。

それでもって黒板消しの掃除がめんどくさそうーー。


○結論

今のところ②か④に落ち着きそうです。

またはホワイトボードシートを壁に貼付けるか思い切ってホワイトボードを買うのもありかな。



家具にできる一工夫術のようなものがありましたら、是非シェアのほどよろしくお願いいたします。。。

今考えていることをつれづれ書いていくシリーズ(小学校英語)

小学校英語は、賛否にかかわらずもう導入してしまった制度です。

よって、

Just try to change it for the better.

というのが今ぼくが考えていることです。



僕は小学校で勤務したことも、これからすることも多分ないです。

従って、小学校でどのように教育していくのが良いかもあまりイメージできてません。

また、実はこの視点がしばしば見失われがちな気もします。

「英語教育」的観点から小学校英語をどうしていくかも大事ですが、

「小学校教育」的に小学校英語をどのようにしていくか、という視点を大事にすること、小学校の現場の声を大事にしていくことが今以上に必要なのではないでしょうか。



ここからは僕のとてつもなく個人的意見なのですが、

僕は小学生には「自分の信じるものを正しいと思う心」を一番育てて欲しいです。

論理的思考力とかは中学生にあがってからの教科教育で割と養っていけるものだと考えるからです。

また、価値判断の直感あっての論理的思考だとも思うからです。

そのことを考慮すると、小学校の英語で

「コミュニケーションにおいて互いのことを気遣う」

などの言語を超えたコミュニケーションの仕方みたいなところを

中高より「強調」することは妥当な気が、個人的にはします。

別に「目標」ではないかもしれませんが、

教師が「特に留意しなければならない点」ではあるんじゃないかな、と。



なんか中身空っぽな抽象的な感じ満載になってしまいましたがこんなかんじで。。。

2012年12月11日火曜日

今考えていることをつれづれ書いていくシリーズ(心に残ったネタ)

予想通り更新が滞っています。ふふふ。

故に今日はミニマムな投稿をします。てへへ。




①Read and Look Up

いわずもがなな定番ねたかもしれません。

しかし、僕はこの手の発展的な音読をしたことがなかったので、とっても新鮮に感じられたネタです。

実習先でも生徒にまねされました笑


②帯活動

これはビデオ撮影で北海道の大塚先生から初めて教わった活動方法です。

全教科に通づる実践のようですが、とくにスパイラルな授業とか2度目3度目の出会いとかが協調される英語教育では、良い復習機会として重宝されるべきかなと思います。

最近ではシリーズ的に段階的に進めていく帯活動の実践というか試みもききます。

僕も帯活動の可能性を広げていきたいです。

しかし、まずはやはり定期的な繰り返し、復習として帯活動を使いたいですね。


③速音読からのリスニング

これもビデオ撮影の際に順天中高の和田先生がされたもので、私も実際に体験しました。

速音読からリスニングがとっても遅く聞こえるのにとても感動したのを覚えています。

むやみな速音読は危険ですが、うまく活用できる教師になりたいです。

ちなみに同先生がなさっていたジェスチャーを交えたリプロダクション活動もかなり面白かったです。


④フォニックス

これも目から鱗でした。

批判もありますが、体系的に生徒に発音とスペリングを教えられるので、僕はかなりの生徒に有効なんじゃないかと思っています(思ってるだけです笑)。


⑤Englishあいうえお

大東文化大のしずか(漢字変換できませんでした。。。)先生の考案された発音教授法です。

最初見たときは正直、ぎゃぐだ、と思いましたが、それもこの教え方の一つの魅力ですね。

そしてなにより、生徒はかなり取っ付きやすい気がします。


⑥和訳先渡し

これも同僚問題が気になりますが、是非やりたいです。

個人的に、文を読み取ったときの快感というか、やった感が好きなので、それに抵抗のある生徒もいそうですが、結局は先生方がいっているように「余った時間でなにをするか」なのでしょうね。

そこで「解読」(あまりこのフレーズ好きじゃありませんが)をやることもできるのでしょうし。

うーん多分。




新しく買った帽子がかわいすぎて興奮気味の僕でした。

2012年11月26日月曜日

今考えていることをつれづれ書いていくシリーズ(Speaking指導)


「日本人は英語がしゃべれない」というのは良くいわれることです。
その是非に関わらず、今多くの人が英語スピーキング能力の向上を望んでいるように思います。
したがって、このことについて書いておくことは大切だと思い、今つらつらと筆を進めています。




僕は大学時代、ずっとESSという英語サークルに所属してきました。
僕の大学のESSは多分他の大学と異なっていて、スピーチセクションやディスカッションセクションに分かれておらず、ただただ英会話を楽しむサークルです。
そんなこともあり、英語専攻であることもあいまって僕の大学4年間はほぼ全て英語力、とりわけスピーキング力の向上に注がれてきました。




そこで僕は、スピーキング力は大学から集中的にトレーニングすることを提案します。
自分自身は英語専攻なのでこのようにいうのは適切ではないと思います。
しかし、他大学や他の専攻の人たちが、自分たちで危機感やモチベーションをもってスピーキング力の向上に取り組んでいる姿を見てきましたし、そういった人たちの英語力は意思疎通が可能なレベルでありました。
本当にそれが必要な人たちの上達は、速いし伸びもあります。
一方で、多くの「英会話がうまくなりたい人たち」は、憧憬の感情だけのような気がしています。
「英会話がうまくなりたい」と「英会話力が必要」は全く別次元であり、僕はスピーキング能力は後者だけトレーニングすればいいのではないかと思っています。




「英語教育大論争」という論争があったようですが、私はあの論争で、「英語は限られた人たちだけに集中トレーニング」という考えが好きです。
何故なら、義務教育においてなされる教育は万人が使う知識・技能だけでいいと思うからです。
英語は確かに今や避けては通れないものだと思います。
したがって「英語は限られた人に・・・」とはいいませんし思いません。
しかし英語のスピーキングはどうでしょうか。
ぼくは英会話やスピーキングをしないと生きていけない人間なんて、一握りだと思います。





従って、高校までの英語は今まで以上にインプット多量でいいのではないかと思っています。
しかし、インプットだけではインプットの質が上がりません。
簡単にいうと、英語を浴びても生徒達は覚えないでしょう。
「馬の耳に念仏」です。
したがって、「それを自らも使う」と思わせることが必要です。
そのために、生徒達に表現活動をさせたりライティングをさせたり、アウトプットの指導をするのだと思います。
スピーキング指導もここに位置して、スピーキング自体の完成度の目標は設けない。
生徒が英語の楽しみを感じモチベーションを維持する場、またはインプットの質の向上のため、と位置づけるのはどうでしょうか。






ライティングは、比較的高校生まででもやりやすいでしょう。
スピーキングと違い、即時性はないし、なにより成果物が残るため正確さの点検も比較的容易です。
正確です。最低でも正確にできる可能性が高いです。
しかし、スピーキングだとなかなか生徒の正確性を上げるのが困難に思います。
少なくとも現状の40人体制ではかなり難しいです。
従ってアウトプットの完成度はライティングで上げればいいと思います。
高校でその土台を作ること自体がそもそも大変ですが、ここができてくれば、それをスピーキングに繋げることは可能だと思います。
少なくとも「英会話が必要」な人が一定量のトレーニングを積めば可能であると僕は思っています。





僕の結論としては、英語スピーキング能力って一部の必要な人が大学などの環境でやればいいのではないかな、というものです。
そして、中学校・高校ではスピーキングは機会として設けるが、スピーキング能力自体の向上は求めない(発音はのぞく、発音トレーニングは必要)。
もしかしたらそれでも「中学校・高校の英語の授業でもっとスピーイングの指導もしてくれてたら・・・」と思う人もいるのだろうと思います。
その人たちには、上の理由で納得してもらうしかないと、今の僕ではそんなことしかいえません。
もしくは、お金がかかる英会話スクールとかではなく、公共の施設として気軽に英会話が楽しめる場が増えればと思います。
中学生や高校生のみならず、大学生や社会人にとっても。
幸せなことにそういった取り組みをしている団体を僕は知っています。
すばらしいと思っていますし、今後このような取り組みが増え行けばと思います。




こんなところで第一回は筆を置きます。
もう既に僕の考えってこんなもんかと首を吊りたくなっているのですが、続けます。
多分僕はMなのでしょう。初めて知りましたが。

2012年11月21日水曜日

今考えていることをつれづれ書いていくシリーズ(目次)

去る6月、応用教育実習中に、担当の先生がご自分のことについて話して下さいました。

先生が教育実習生だった頃の授業案をご覧になったそうです。

そして、ああ、今の自分の授業の片鱗、やりたい授業が垣間見えるなあ、とお感じになったそうです。



初心を忘れないようにすることが大切だと思うので、その「初心」をここにしっかりと記しておきたいと思います。

今自分の中にある考えを書いていこうと思います。

ある意味自分の主観をさらけ出す形なので、とても怖いです。

まだ学部生で現場をほぼ知らない自分が何を考えていられるだろうとも思います。

しかし、このように簡単に公衆に考えをさらけ出して鍛錬していくことができるのは、とても幸運なことだと思います。

今回はそのリターンを求めて、自分の考えをありのままに書き出していこうと思います。

また、自分の考えを自分で立てるためにも、権威のある人の考えをサポートにすることはしないようにします。




以下の要領で毎週月曜に更新していこうと思います(全10回):

①スピーキングの指導について

②心に残った小ネタ・大ネタ集

③小学校英語について

④テストについて

⑤文法指導について

⑥イマージョンについて

⑦生徒指導について

⑧まだ分からない、自信のないことについて

⑨番外編(ディベート思考)

⑩番外編②(正しい理論より幸せな理論)





無知で未熟な私ですが、誠心誠意綴っていこうと思います。

皆様からご意見ご感想、ご教授等を頂ければ幸いです。


ちなみに第一回でなにを書くかまだ考えてません。そう、背水の陣作戦です。

2012年11月12日月曜日

こっからを「愚直」に

さむうなって参りました。
気持ちは温かくならなあきません。

ということで季節外れの『誰得!決意表明』タイムです。
ここまできたら最後までおつきあい遊ばせ。

①来年から英語教師だから…
来年からの授業は、「キークエスチョン」を軸にやりたい(許してもらえれば)。
なんか直接英語に関することを中心に据えれば一番真っ当なのは分かってるんだけど、それでも"Content can be an anchor for form."を信じてる。そこが教師としての地盤で、真価が問われる気がしている。
あとはやっぱり名言集的なのもやりたいなー。
あとはそういったアイディアをなるべく今のうちに集めておく。

②来年から一人暮らしだから…
料理を今のうちにちょっとずつレパートリーを増やしてく。
今日はハムかつ作った。
日本ハムは負けたけど、ハムかつつくた。
めちゃ時間かかったからもう当分つくんね。

③時間あるから…
もう一度だけ韓国語に挑戦する。
4度目の正直。
これでつまずいたら生徒に英語勉強しろとかいえないなまじで笑
あと、ギター弾き語りの持ち曲を増やす。
最後にいつぞやのように披露できたらいいな。
手が震えててもギターを弾けるその姿は子どもに勇気を与えるであろう。

④今のうちに…
まともな服を増やす。

2012年9月18日火曜日

内容中心教授法

前回の記事からずいぶん日が空いてしまいました。
実習はもはやお蔵入りの思い出になりつつあります。
その後は教員採用試験でてんてこ舞いになりました。
それが終わってからは遊びほうけました。
そして卒論に危機感しかない現在に至ります。

さて、最近は全く英語教育の本を読まない日々が続きまして、英語専攻の人間がこれで良いのか、などと自惚れた自問をした結果、以下の本を読んでおります。

http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%80%8D%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%95%99%E8%82%B2-%E5%92%8C%E6%B3%89-%E4%BC%B8%E4%B8%80/dp/446924547X/ref=pd_rhf_se_s_qp_39

去年の英語授業研究会の全国大会で先生のご講演を拝聴してから、ずっと読みたいと思っていた一冊でしたが、そんな記憶はほこりをかぶって私のホルマリン漬けの頭の奥底ににたにたしながら眠っていた訳でして、まあ今更になってどっこいしょと重い腰を上げて読み始めました。そうです、卒論からの逃避行第一弾です。

最近はPPPでごりごり押していけばえーじゃないか、どーせ定着なんてしないんだから一通り教えきっちゃってちがうところでタスクかなんかさせて記憶呼び起こさせてごちゃごちゃetcと思っていた私ですが、
これをみてまた「んーやはりタスクを先行させ必要性を感じさせてから形式を出すのもよろしいじゃまいか」と思ったりしました。そうです、教育観をコロコロ変える不勉強な学生というのは私です。


この本の中で何故か(f on fが主眼なはずの割に)わりとページ数が割かれているのが内容中心教授法で、そのなかでもやっぱりぼくは派手物好きなのでイマージョンにひかれてしまいました。

ところで先日、上智大学でCLILのお話があったので行ってきました。周りは大学の先生方ばっかりでかなりういてた僕ですが、頑張ってきいてきました。

CLILにしろイマージョンにしろ、一つ僕が思うことがあります。これは多分僕が不勉強なのが悪いです。ただ、

具体的な方法論が欲しいなあ

と思いました。K藤学園さんなんかが日本イマージョン教育の重鎮ぽいですが、カリキュラムとかどうなっているのか是非勉強したいですね。
カリキュラムは具体的にどうか、教師への条件は(具体的な英語力はどうか、どういう経験や研修が必要か)、それぞれの教科でどのような手順で学習が進むのか(日本語で行われるものとの相違は)等、山のように質問があります。
特に知りたいのは、scaffoldingの具体的な方法ですね。ここが各教師の授業を工夫する一番のポイントになってくると恐れ多くも思っています。例とか教えていただけたら幸せです。

この前友人が、将来イマージョン教育の学校を建てたいと言っていて、僕も建てたくなっちゃったりしました。そうです、自分を持っていない学生というのは私です。


PS. この前教育実習の指導教官の先生とお話ししました。先生はスピーチやディスカッションをさせたいが、スピーチで話している生徒以外をどうするか、聴いたスピーチを評価させるくらいしか分からない、とおっしゃっていました。ぶっちゃけしっかり評価させるんでもいいし小グループにして発言者数を確保するのはありかなと思いました。
ただ、上のイマージョンと合わせて、やはり現場の先生に具体的な方法論をもっと伝えていくことが必要なのではないかと思いました。あれやれこれやれだけでなく、こうやって、までフォローしていただけたら助かりまする。。。(to no one particularly)

2012年6月11日月曜日

教育実習一日目の悲劇

こんばんは。


実は今日から教育実習だでした。


そして私は事前に英語Ⅰの授業案を2つ用意していました。


しかし今日指導教員の先生のご好意により、
Part一つに2時間かける
ということになりました。
(Partは一つのLessonを4つに分けたものです)


二つの授業案は晴れて御蔵行きとなりました笑

もちろん担当の先生が僕の研究授業を考えてくださって
ご配慮していただいたことには心から感謝しています。



ということで今日の問いかけは、
「Part一つに二時間使えたとしたら、何をしますか?」
ということです。


とても贅沢な悩みなのですが、ちょっと内容に悩んでいる今日この頃です笑

せっかく二つあるなら、皆さんならどのようにして有意義に使いますか?

2012年4月29日日曜日

ボランティア考察記①

最近、ある中学校と某所でボランティアを始めました。

特に中学校では授業の中に入り、ティーチングアシスタントとしてお手伝いをさせていただいています。


まだ始めたばかりなのですが、二つほど感じたことがあったので、ここで整理のためにも書いてみようと思います。




①生徒指導って難しい

まず最初に感じたのは、生徒指導って学校の色がでるな、ということでした。

ボランティア先の学校では、うるさい生徒がいません。
授業前は静かに着席して待っています。
これには他のボランティアの人たちもたまげていました。

そして授業のお手伝いをしていたときでした。
明らかに生徒指導担当の先生だな、という方が教室に入ってきて、少しけだるそうにしていた生徒に、「どうした」と声をかけていました。
私は中学生のときにこのようなことがなかったので、またびっくりしてしまいました。

学校の方針がでるというのは、きっとこのことなのだろう、と感じました。
どういった生徒を育てたいのか。それは、学校ぐるみで統一見解があるべきなのかもしれません。
そうでないと、生徒もどう育っていけばいいのか、混乱してしまうのかもしれません。
先生の価値観がでるところであるからこそ、きちっと芯の通った指導をしたい、と思いました。



②習熟度授業について

英語の授業は、習熟度別で行っているようです。
先日、中3基本レベルの授業のお手伝いをさせていただくことになりました。

そこで感じたのは、「中3という学年」と「生徒たちのレベル」との葛藤でした。
正直言って、音読もままならない生徒たちにこの教材をやらせなければならないのか、と感じました。
習熟度にしたところで、本当にその生徒たちのレベルに合わせた教授をじっくりすることは、現場では難しいのかもしれません。

さらに言ってしまえば、実はその習熟度集団の中でも、結構顕著なレベルの差が見られました。
それも、先生の対応をさらに難しくさせている要因かも知れません。





とりあえず、二つともまだ始めたばかりなので、僕も微力ながらできる限りのサポートをしていきたいです。そのなかで、こうして学びも汲み取っていければ、と思います。


ちなみに、外ではハエが飛んでいます。外で飛んでいるのに、僕の部屋の中まで羽音が聞こえてきます。まだ四月なので「五月蝿」くしてほしくないものです。

お後がよろしいようで。

2012年4月7日土曜日

個人的「〇〇人」論の恐怖

「グローバル社会」は、時代を象徴するような言葉の一つとなった感があります。
それとともに、四方八方で「〇〇人はこうこうな人種」といったコメントを聞くようになりました。(というよりむしろ大人になって周りに国際経験を積んだ人が多くなってきたからかな?)
確かに世界はどんどん小さくなってきているので、ある程度「〇〇人はこうこうだ」というイメージを各自持っておくことは大切かなと思います。
それを持っていないと、文化間でコミュニケーションの仕方や常識が異なりすぎて、摩擦を起こしてしまいかねない可能性があると考えるからです。これは個人的な経験も混ざっていますが。


ただ、個人的経験を過剰に普遍化するようなコメントもあり、少し怖いですね。
これは、インターネット上だけでなく、普段のカジュアルな会話等も同様に感じることです。


「〇〇人」の中にも当然いろいろな人が存在しています。
従って、個人的な経験のみで「〇〇人」を正しく抽象化することは、かなり難しいのではないでしょうか。


先日、友人が「〇〇人はうるさい」ということを言っていました。
どうやら旅行先で、路上で大声で電話越しに会話をする〇〇人が多かったと感じたようです。
しかし、それだけで「〇〇人」を語ることは、かなり尚早なのではないかと感じました。
なぜなら、彼の「〇〇人」に対する経験値は「旅行先」の「路上」に限定されるからです。


上の例は少し極端でしたが、しかしこのような論調は少なくないように感じられます。(これ自体狭い経験から抽象化し過ぎている例かもしれませんが)
人々の言動や振る舞いは、場所、気分、体調、話している言語等、多くの要素によって変化します。
それらの場面での彼らを全て含めて、「〇〇人」を語らなければ、失礼だと私は思います。
さらにいえば、もっと大人数のサンプルを、幅広いバックグラウンドから選び、その人たちの特性を調べることが、「〇〇人論」の要件であると思います。


グローバル社会で、最も避けるべきなのは、文化間の摩擦だと思います。
安易な「〇〇人論」の発信は、残念ながら誤解を生むだけだと考えます。従って、各々の持論はもう少し節度を持って語られるべきではないでしょうか。

...という自らへの戒めでした。

2012年3月18日日曜日

一日一個金言運動

いつかやりたい。


僕が考える金言というのは、いつの時代でも誰にでも、共感されたり、納得してもらえたり、感動されたり、愛される言葉。
陳腐な表現だけど、「言葉の力」を感じさせてくれる。

* * *
大学一年生の頃は、特に狂ったように探してたなあ。
Future starts today, not tomorrow.
 とか、めっちゃ好きだった。


* * *
最近ずっと好きでデスクトップに使ってた写真には、
Everyone is a genius. But if you judge a fish on its ability to climb a tree, it will live its whole life believing it is stupid. 
という、金言メーカー(smaller命名)のEinsteinの暖かいお言葉。

* * *
最近、新しい本を買いまして、名前は「某ファーストフード店の本」という名前の本なんですが、
そいつは壁紙が欲しいというので、いい壁紙を探していた訳ですよ。


で、せっかくだから金言が入っているものを、って久しぶりに探していたんですが、


いやーいい言葉のオンパレードでした。


特に今回一番気に入ったのはこの言葉。
A candle loses nothing by lighting another candle.
自分はできているかな、と猛省しました。

* * *
金言にもいろんなタイプのがあって、
アナロジー的なもの、ユーモラスなもの、さらには文構造が面白いものとか音的に難しいものまで、様々。

ごった煮みたいになるのは怖いけど、それでも言葉の楽しみを感じて、例文暗唱の励みになればいいなあ。実践はまだちょっと具体的イメージがないんだけれど。

そう、あくまで目的は「例文暗唱」ですよ笑。

2012年3月11日日曜日

CEFR-Jのシンポジウムに参加しての感想

今日(昨日?)、CEFR-Jのシンポジウムに参加してきました。
9日と10日の2日にわたって行われたのですが、私は10日のみ参加しました。
シンポジウムの目標は、CEFR-Jの取り組みを多くの先生に知ってもらうことと、どのような意義や影響があるのかを伝えることであったと理解しました。
特に、参加した2日目はワークショップ中心で、どのような指導法が可能なのかが、CEFR-Jのレベル別に紹介されていました。


シンポジウムに出た(しかも片日参加)くらいでは、到底その取り組みを理解できた気はしませんが、それでも思ったことを整理するためにこの記事を書こうと思います。

* * *

①CEFR-Jのポテンシャル

最大の特徴は、やはり'Can-Do' statementとしての性格でしょう。
つまり、learner-centeredである、ということです。

学習指導要領は、「教師が」何をどのように教えるべきかという視点で書かれています。
CEFR-Jの'Can-Do' statementでは、「学習者が」何をできるようになるのかが記述されます。
CEFR-Jによって、生徒は自分がどのような能力を身につけたいのか、そのニーズを把握し伝えることができるようになると考えられます。
また、学習者は目標を明確にとらえ、その達成度を自己評価することができます。
これらの点において、CEFR-Jは学習者が自分の学習の手綱を握ることを助けることができるのです。

また、教師にとっては、CEFR-JのHorizontal Aspects、つまり能力の区分の多さにより、狭い範囲だけの能力だけを伸ばしていないか、本当に自分が養いたい力を伸ばせているか確認することができるという利点もあると考えられます。

-CEFR-Jの、考えられる今後の課題

これは今回のワークショップを通じて感じたことなのですが、まだまだ日本人学習者の実情にあっているか疑問をかんじます。B1やB2のレベルは、大学生でもほとんど期待できない能力であり、ましてやC1,2は、ネイティブスピーカーのレベルであります。
すると、実質pre-AからB1までが日本人学習者のあてはまる範疇と考えられます。
これでは、すこし区分けが少ない気がします。より一層の細分化が必要だと思います。

* * *

今夜はカフェイン取っていないためもう非常に眠いです。付け足すかもしれませんが今日はここまで。おやすみなさい。

2012年2月26日日曜日

外国語科の目標から「外国語を通じて」をとってみた

問:次の文を読み、この文は下の選択肢のどれに関するものか答えなさい

言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりするコミュニケーション能力を養う。

a. 文化理解 b. 外国語 c. コミュニケーション d. 言語理解





特に解答はありません。ごめんなさい。

ただ少なくとも僕には外国語教育の目標にはみえません。
外国語という枠を外した、もっと大きな「コミュニケーション教育」にみえます。


* * *

上の文の最初に「外国語を通じて、」を入れると、高等学校学習指導要領外国語編第2節 目標の文言になります。

外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりするコミュニケーション能力を養う。

こうすると確かに、外国語教育の目標っぽいです。「外国語を使って達成する」からだと思います。

しかしそう見えたとしても、僕は問題あると思います。
外国語を通そうがなんだろうが、身につけるべき技能とされているのは「言語文化理解」「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度」「コミュニケーション能力」だからです。いずれも「外国語能力」という特定の能力ではありません。
外国語教育の目標なのに、目標の第一に「外国語能力」が出てこないのはやはりおかしいのではないでしょうか。

上の「目標」をみると、これを作った人たちは外国語教育を「色々なことを達成する万能ツール」と考えている、そんなように私には思われます。

* * *

因みに、個人的には外国語教育の過程で他国の文化理解や言語そのものに関する考察等を行うことは賛成です。
そういった要素は、外国語教育とはきっても切り離せない物だと思いますし、生徒たちの外国語学習意欲の向上にも資するのではないかと思います。

しかし、そういった第二言語学習の枠を超えた、またはそれと近接しているものの別個である要素が、目標に入ってしまうことは的外れのように感じます。
そうではなく、ある単元の教材のなかで、タイミング良く扱えそうであるとか、生徒の興味をひくことができそうな時に、積極的に扱えばよいものだと考えています。


学習指導要領は、つっこみどころ満載ですが、賛成・賛同するような文言も同様にある気がします。
権力批判はあまり好きではないのですが、面白そうだったので、ついかいてしまいました。。。



<参考>
文部科学省(2010) 『高等学校学習指導要領解説 外国語編・英語編』開隆堂



追記:指導要領は、最初にガイドラインとして何か提示した、というだけで勇気・価値あるものだと私は考えます。外の人は(私含め)外野からがいやがいや、いや、がやがや言いますが、それは最初に何かがあるからできるのであることが多いです。一からこういったものを作ることが難しいのは、大学の「中等英語科教育法(確か)Ⅲ」で経験済みです。

2012年2月23日木曜日

AとBの優劣関係は絶対普遍?

ずっとひっかかってきたことがある。


例えば、大学の授業で「ここはこうのほうがいいんじゃない」という指摘がなされる。
うーんそうかとうなずいて、「Aの活動」の下に「Bの活動の方がよさげ」とかかく。(実際は理由などをつける)
そして、教室には「Aの活動ではなく、Bの活動が良いのだな」という雰囲気ができる。


しかし、本当にそれでいいのか。


実際には、「その場、その目的でAという活動を行うより、Bの活動を行うべきだ」ということにしかならない。
よって、それを提示する側は、「メリット・デメリットを踏まえて使うことが大事」というのだ。


言いかえれば、「AとBの優劣関係は絶対的なものではなく、時と場合が変われば当然ひっくり返る可能性が生まれる」。


こういった気持があるからこそ、指導にいろいろなバリエーションを持ちたい。



上のことと関係して、一つとても印象に残っている言葉がある(多分どこかの教育系の研修だったと思う)。

「その場の状況に合わせて柔軟に対応する、というのは、決してその場で対応を考えるということではない。ありとあらゆる場面を想定し、対応策を考え、実際の状況に応じてその中から取捨選択して実行する、ということなのだ。」


実際にそんなことができるか甚だ心もとないが、一生心に刻みつけておきたい言葉である。

2012年2月9日木曜日

Just a quick post for resolutions of this spring vacation

I've noticed that I've not set my resolutions yet for this spring vacation even though it's already around the corner.
So I'll make a quick post to keep myself heading into the vacation.

- To be a teacher
       At least write two essays a week. Work at least twice on the reference book that I'm now using.
       Some seminars
- To improve my English
        Listen to Podcasts, read newspapers, and talk in English whenever I can, even speak to myself (recently esp. my English conversation ability sucks.)

- To get ready for graduation thesis
         Read more references and learn more of MOS and statistics.

- More for fun
         Travel alone. Anywhere, national or international.

2012年1月21日土曜日

「邦楽」からのTake Off ~ちょっぴり大人な洋楽ロックの勧め~

来週親友と二人で「洋楽縛りカラオケ」なるものを開催するのですが、
といってもどんなカラオケでもぼくはほぼ洋楽縛りなのですが笑、

その前にある程度どんなのを歌おうかな、と考えていまして、
音楽に関しては「割と雑食家」を自負する私ですが、
最近はちょっぴり
お・と・な
な音楽が好きになってきましたので、

セットを考えるついでに何曲か最近のお気に入りを紹介したいなと思いまして、
勝手にピックアップ大会!わーわーぱちぱち。
(久しぶりに人に紹介できるような音楽がお気に入りになってきたということも含意してます笑)



①Boyce Avenue "Dare to Believe"


It's a gracefully beautiful song. The singer's got such a tender voice. I envy him.


②Goo Goo Dolls "All That You Are"


It's beautifully written and comes straight to my heart, and I can feel the sincerity of the writer.


③The Fray "Syndicate"


The piano has been made for them, really.


④Ne-yo "Miss Independent"


だいぶいまさらですが笑。Ne-yoの最近のお気に入りはこの曲かな。


⑤Adele "Promise This"


Her voice is the best of those of woman singers' I've ever heard of. この曲はカヴァーですか、好き。オリジナルよりも笑
そして上の写真がなかなか厚化粧で老けてて…23歳とは思えないお顔で笑いました。

⑥The Kooks "Naive"


上の5曲とは違って普通にロックですが、結構好きですね。コーラスとか like ol' good music of 60s.


* * *

て感じでした。聴いたことなかったけど好きになった曲とかあったらうれしいです^^
みなさんのお勧めも教えて下さいね!

2012年1月16日月曜日

先生、どうやって英語勉強すればいいの?

遅れてしまいましたが、あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

* * *

さて、センター試験が終わりましたね。
受験生の皆さんには、お疲れさまでしたと声をかけてあげたい。
あ、だからと言って電車で騒ぐのはやめて笑

そして、千葉県では高校の入試もぼちぼち始まっています。
僕も、塾で講師をしている身なので、この時期は本当にはらはらします。
3年目なのですが、未だに慣れません。


本当に慣れないんです。そんな自分がふがいなくもあります。
過去問を解いて、理想との差に愕然としている生徒。
彼らを目の前にして、何もしてやれないふがいなさ。
「先生、俺どうすればいいんだろ」
信頼にこたえられない歯がゆさ。
今までずっとその生徒を見てきたはずなのに、理想の学習法が提示できない。


それは、僕自身が断定するだけの自信・力がないからです。
様々な要因が絡み合っていて、どうにも全てを計算に入れて、「ハイコウシマショウ」といえない。
主な要因として3つ。
①その子の好きな学習の仕方・足りない能力(単語、リーディングetc.)
②時期に合わせた学習法(有能感の保持、過去問、基礎力etc.)
③志望校の問題傾向に合わせた学習法
単純に過去問で、と言いたいのですが、よしんば傾向をつかめたとしても基礎力不足でキャパオーバー。
そもそもここまでの僕の指導や生徒の学力を見誤っていたことも問題でしょう。


とはいっても、彼らのためにも、残りの少ない時間できるだけのサポートをしていくしかない。
反省はOK。でもウジウジ言うのはそれからにします。笑
もう二度とやらないためにも、とりあえず書いておきました。

* * *


さて、「英語教育」2月号の特集が、奇しくも「英語達人の学習法」でした。
あ、だから上のを書いたんですけど笑。こっからが本題です笑

まず個人的には、「脳内独り言」をしていらっしゃる人がいて良かったです。
僕も大学一年生のとき特に意識してやってました。先生方ほどストイックではないですが。。。
電車内でよく、"f**k" "s**t"って呟いてました。満員電車。。。笑


他に、3つ感じたことを書きます。

①人によって多様な学習の仕方
積極的に話す、「アウトプット中心」の方もいらっっしゃれば、とにかく読書量のもの凄い「インプット中心」の方もいらっしゃる。
そして、その学習の教材(内容)、具体的方法も人それぞれです。

恐縮なのですが、僕は特集に出ておられた方の英語力を誰ひとり存じません。
しかし推測するに、人それぞれ異なったと能力が特に秀でていらっしゃるのではないでしょうか。
それは、人によって違った英語観、それに付随した学習法であろうからです。

②人によっても変わらない部分
とはいっても、やはり達人の方々で共通している部分も見られたように思います。
抽象的な言い回しになってしまいますが、
- 自分の学習に対して自らがイニシアチブをとっている
- 他人に惑わされず、自分の学習法を貫いている
- 苦と感じるかはともかくとして、相応の時間と努力を費やしている。まさに「学問に王道なし」。
といった点にぼくは注目しました。
皆さんはどういった点に目をひかれたのでしょうか。

③一つのことから初めて、複数の学習法
みなさん自分の「根幹」のような学習法をお持ちのように感じました。
しかし、そこにはとどまらない。
例えば、関大の中邑先生は、とてつもない読書量を「根幹」にしながら、イギリスでは積極的に現地の人に話しかけていらっしゃる。
必ず、インプット・アウトプット等の観点で多様な学習法をお持ちでした。


まとめてみると、なんだかんだいって、当たり前のことを再確認したようにも感じました。

最近感じていることがあります。
「ダメな学習法はあっても、最良の学習法はない」ということです。

英語の歌がいくら好きだからと言って、英文法の勉強なしにいくら洋楽を聴いていても一生英語はできるようにならないでしょう。
いくら多量のインプットをしていても、聞き流しているだけで注意を向けなければ、学習の効果はたかが知れているでしょう(うちの父がそうです笑)。
よって、効果が上がらない学習法はあると言えそうです。

しかし、アウトプットをするのにいくら効果的だからと言って、全ての人が「脳内独り言」をすべきかといえば、否である、と考えます。
生徒によっては、頭で出てきても、結局声にできないからダメ、等の子もいるでしょう。
また、誰からもフィードっバックをもらえず、仮説検証に失敗する子も多いでしょう。
つまり、万能薬はありません。

それだけ、生徒に合わせた学習法の提示は重要だと思います。

* * *


こう考えてみると、今ぼくに必要なのはやはり、「手持ちのネタを増やすこと」なのでしょう。
そして、その手持ちのネタを、生徒に合わせて出してあげる能力。

今塾で、そして将来現場でやらなくてはならない大きな仕事の一つが、まさにこれなのではないかと思います。