2011年12月28日水曜日

2012年のsmallerを振り返る

さて、明日が冬期休業前最後の授業日なのですが、私は授業ありませんので、今日で晴れて冬やすみです。
ということで最高に頭わr…勤勉な大学から喜々とs…泣く泣く休暇を一週間とることになり、年末モード一気に突入しました。

ということで、年末恒例、大振り返りを始めたいと思います。

まず、今年は「妄想フィーバーの年」でした。
誤解のないように説明させていただきます。


①思考が熟成するという感覚
最近感じてたことです。

今年は英語教育について多くの本を読み、多くの良い授業をみさせていただきました。
そういった経験が自分の中に結び付いたとき、発信や人とのシェアを求め始めました。
何かが自分の中に「熟成」して、初めてそういった外部との効果的な交流ができるのかな、と思っています。

今まで感じていた、安易なペア、グループ活動への違和感とも結びついているかもしれません。

②ゼミ
3年になって、前期と後期にそれぞれ自主的にゼミを開かせてもらいました。

前期は、はっきり言ってかなりつらかったです。
どうやって会を進行しようかとか、活性化させようとか、そんな気持ちが空回りして、一人相撲をとっていたように思います。
僕がイニシアティブをとるのではなく、みんなの意向で動かすんだ、という気持ちが大きすぎたのかもしれません。
気づいたら最初にいた地点からずいぶん流されまくってた気がします。

最初にテーブルに着いた人間は、たまたま最初だったのかもしれない。
それでも、何か具体的なものを示して、しっかりとそれを一貫させる。
そうすれば後が意見を出しやすいし、変えていける。
自分のO型人間さはこういう時にいらないのだな、と学びました。

後期は、今のところその反省を生かしてうまくできている気がします。
僕の中で明確なビジョンや目的が見えたところで始めたのも功を奏している気がします

本当に、教材の料理のレシピを増やしたいです。
今は生徒の実態も少し実習でつかめたくらい。
だから逆に、今は「妄想」して、どんどんレパートリーを増やしたい。
「手段の目的化」も、だから、今は別にいいかなと開き直ってます。
もっと本読んで溜めて「熟成」させていきたいですね。

③教育実習
今年はこれ抜きでは語れませんね。
今となっては「ツラカッタ。。。」しか思い出せませんが。

本当にちょっとでも先生の仕事が垣間見れたこと。
初めての、学校の生徒ができたこと。
それだけでも貴重な経験でした。

それと共に、「大きな枠組みの中の一つの授業」ということを学びました。
また、どれだけ生徒を「見る」ことができるか。
これからの自分のコアになっていく部分かな、と思っています。
高校教員志望ですが、中一を見た経験は本当に宝物だと今は心底感じています。

④穏やかな気持ちでいること
自分は最近、ずいぶんイライラしやすくなったと自覚しています。
人からも指摘されることが多くなってきたように思います。

これはある意味いい傾向だとも思います。
以前の自分は、自分を消すくらいの勢いで周りを気遣って、感情を抑えていたように思います。
最近は特に、友人たちは家族のように親しく、文字通り「気の置けない」関係になってきたように思います。
だから、イライラは出るし、本音も出る。

でも、それでもやはり、穏やかな気持ちをもつことはとても大事です。
それは見せかけの余裕ではありません。
本当に心が落ち着いたとき、周りの友人たちと更にいい関係が結べると信じています。
そして、僕自身の成長となるのだと思います。
それが、今までの、そしてこれからもずっと私の理想の人間像です。


とりあえず来年の抱負は、「京浜東北が先に来たから乗ったのに山手線に抜かれたというだけでイライラして隣のおじさんに水球仕込みのケツアタックかまさない」です。

2011年11月27日日曜日

森を見て、木を見ず

「メタ」という言葉がありますね。
なんか2つ以上のものを普遍化した、みたいなあれです。


最近思うんですが、ちょっとドが過ぎませんか?
もっと一つ一つのことを考えてもらわなきゃ困る。
「違い」を考えてもらわなきゃ困る。

* * *

外に出てみればわかるでしょ。
すぐにわかる。
おんなじ景色なんてどこにもないでしょーが。
少し移動してみれば変わった場所が出てくる。
少し体の向きを変えれば違う場所にみえる。
同じ道でも行きと帰りじゃ全く違う。

人だってそう。
違う考え方。違う好み。違う人生観。違う楽しみ。
人それぞれ。
同じ人でもちょっと見る目を変えれば、違った部分が見える。
だから同じ人間と40年も50年も付き合えるんでしょ。

金子みすずの詩にもあったでしょ。
「みんな違って、みんないい」
はやったから覚えてるでしょ。
色んな人が批判したから覚えてるでしょ。
でもほんとそうだよ。
香山さんも言ってるけど。
「みんながみんな成功者になれるわけじゃない」んだよ。
「みんながみんな頑張れるわけじゃない」んだよ。

「日本はだめだ」とか言ってるけど、何がダメなの?
向上心とやらがないからダメなの?
向上心がなかったら幸せになれないの?ダメなの?ゴミなの?ポイ捨てされちゃうの?
そんなんなくても必死で人生楽しんでる人っているんじゃないの?
てかのんびり幸せ感じてる人もいるんじゃないの?
それで何が悪いの?
「草食系」だから悪いの?
それもうもはやシマウマさんetcを侮辱してるよ。


僕は向上心ない人代表だから言わせてもらうけど、
別に向上心ないけど僕は今の生活、結構満足してるよ。
多分将来、そこそこの生活で満足してくよ。
悪い?
この反語の意味もわからないかもしれないからあえて言うけど、
別に悪くないじゃん。
あんたのためになんか生きてないよ。
自分で満足してるんだからほっといてよ。

それでも僕に「もっと向上心を」とか「気合を入れろ」とかいうのなら
それってもう独裁政治みたいだよ。
だって全部上からの押しつけじゃない。
そんな独裁政治断固反対だよ。

今の自分割と好きなのに。
なんで「お前はカワイソウだな、向上心を持たせてくれる機会もなくて」みたいな顔すんだよ。
俺はそんなお前がカワイソウだよ。

* * *

って言われたらどうします?
それでもケツひっぱたいてみたりアメでつってみたりして、
何とか「社会形成に貢献できる人材」を育てなきゃいけないんですかね。

最近こんなこと考えてますが、
私にはさっぱりわかりません。
多分一生わからないでしょう。
ただ一つ言えるのは、全体での大きなダイナミズムの中で捉えたとき、
学校教育は本当に限られた効果しかもってない気がします。

といっても、それでも私は教師になる気満々ですけどねw

2011年11月1日火曜日

幸福ってやつについて(恨みつらみをぶつけるの回パート1)

昨日くらいに(すでに記憶があいまい)昔書いたポストを読んでました。
この年になると、昔の自分に感心するものなのか。
それとも自分が忘れっぽいのか。

はたまた退化しているのか。ひえー。。。

* * *

幸せになりたいという願望は、少なからず誰にでもあるのではないでしょうか。
そんなとき、でも本当に私たちは、「幸せって何か」考えているのでしょうかね。しょう金。

というのも、「幸せ」というものは、それをピンポイントに狙って手にするものではないんじゃないでしょうか。

上の仮定の下、今回は少しばかし語ってみようと思いますよ。『語る大捜査線』ですよ。

* * *
「幸せ」ってどこにあるんじゃあぁぁああああ!!
どこにもないいんじゃあああああ!!

幸せは概念でしかありません。
具体物ではないのです。

もっと踏み込んでいきます。
「幸せ」は感情の一種と言ってしまっていいでしょう(大雑把なのでお怒りになる方もおられるかもしれませんね)。「幸福と感じる」ことです。
では、感情はそれが何かに先行するものなのでしょうか。
私はそうは思いません。
誤解を恐れずに言うと、
『「幸せ」は感情なので、副次的なものでしかない』
ここでいう「副次的」とは、「それ自体が最初にあるのではなく、何か他のことがあって得られる」と定義しておきますよ。辞書的なものは…なにそれおいしいの(流行に乗った)

そして上の文を別の言葉で言いかえると、
『何か他のものがあって初めて幸せを感じる』
となります。

具体物ではない、ましてや、それ自体が初めにポンとそこにあるわけではない。
それを「探す」というのは、なにか空をつかむような心地がするのは、全く道理にかなったことだと思います。
ということで、巷で言う「幸せを探す」というのは不毛だと感じています。

僕の大好きなバンド The Frayも歌っています。

Happiness is like the old man told me:
"Look for it, you'll never find it at all.
But let it go, live your life and leave it.
Then one day, you'll wake up and she'll be home."



Don't try to find happiness, but try to find and do what you'll be happy to do...


(追記)
ただ、上でも書いたように、
「幸せになれそうか」
というのは、迷った時の試金石になりえるのは言うまでもありませんね。

また、より多くの幸せを、
今していることや日常から掬いあげて、
それを胸の中で愛することも。

2011年10月30日日曜日

ふわっと豆腐論、採用

いつか哲学の本に、「哲学とは本質を切り取ったもの」という記述がありました。(多分)

そうやってキッチリと言葉にして、後世に残ります。

するとそれが多くの批判にさらされ、少しづつ形を変え、

より多くの「事例」に当てはまるように書きかえられます。

その最後の「とりあえずこれが今のベスト論」が、哲学ということでしょうか。(完全なる持論)






さて、それは全ての学問に当てはまるのではないでしょうか。(完全なる持論)

科学の例がよく引き合いに出されますが、

ニュートン力学は「世界を記述する」理論として謳歌していたわけですが、

アインシュタインの理論がより多くを説明可能にしたことから、「第一線をおひき」になった。
(それでも使える限りでは簡便に住む前者が使われるそうですね)

言葉にしてキッチリと残しておくと、それを批判して、改善してくれる人が(自分含め)出る。

まるで鍛冶屋が刀を何度もたたくように、洗練していく。

その批判の歴史、改善の年月が、学問の立つところなのでしょう。それはまさしく権威です。


(上のは全て持論。。。)

* * *

私は、「キッチリ鍛冶屋論」を破棄し、「ふわっと豆腐論」を採択します。

私は、学問をつくれません。

でも、私は私を生かしていきます。それが仕事です。

私自身がよって立つところは、角々しくない、リロンブソーもない、

高くもない、ノイズもない、固くもない、

苦しくない、そういうところがいいです。

「叩いて曲げる」のではなく「ふわっと包んでとりだ」したいのです。

それはふわっとした豆腐を包み込むような、


夏の日の午前二時に、雨の後、生ぬるい匂いのする木漏れ日の中を歩いている時のような、暖かくな眼差しのような世界観だと思います。

2011年10月23日日曜日

生命力

風邪ですね。


薬も飲んで、漢方なんかも頂いたりして。


でも結局風邪を治すのは体なんですの。



無意識に熱をあげて、無意識に咳をして


体君は、本当によくできてますなあ。

2011年10月16日日曜日

ROSVと今後の課題

ROSV(Reflection on Summer Vacation)です。
すみません、最近「何でも頭文字取りたがり病」なんです。

世間広しといえども、うちの大学ほど長い夏休みも珍しいでしょう。
ので、しっかりと反省、今後の課題をまとめておきたいと思います。

…ええ、口調からもわかるかもしれませんが、かなり思いつきで行かせていただきますよ笑


「○○やった」形式はあまり生産的でないので、
①何を得たか
②何が課題か
③具体的に何をしていきたいか
の3本立てで行きますよ。れっつごー。


- 教育実習で、初めて教壇の前に立ちました
①とても新鮮な経験でした。生徒は教室でどんな生物なのか少しわかりました。笑
②と同時に、こういった生の経験がまだまだ足りないと実感。。。やはり生きた授業をその場で、大きな最終的な目標や授業観を聞きながら視聴する、または組み立てるという経験が、これからもっと必要だなと感じました。
③また実習行きたいです(終電はもう嫌ですが笑)が、そんなことはできないので、また学校ボランティアに行きたいです。地元の市で見つけられれば楽なのですが、難しそうなので、大学経由ですかね。。。

- 考えることの大事さ
①教育実習中や時間のある夏休みに何をしていくかなど、考えたときに全てに対して「目的」をしっかりと考えて、組み立てていくこと。
③後期、小免組もかなり暇になりそうです。ボランティア、+αの授業、バイト、教採の勉強、英語の勉強、韓国語の勉強などなど、具体的にどんな配分で、どんなスタンスでこなしていくのかを考えていきたいですね。

- 知を得る→判断、行動に積極的に役立てていくことの大事さ
①大切ですね
②足りてませんでしたね
③とりあえず輪廻転生から解脱したいと思います!

後は確か実習前に振り返りをした気がするので、とりあえずこんな感じでしめます。

2011年10月10日月曜日

Not only learn; but ACT on it

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瀧本哲史先生の『武器としての決断思考』、非常に勉強になりました。
今日は先生の教えの中で特に今の私が「タメになった!!」と興奮した教えを紹介させてください。


それは、「教養は使って初めてナンボ」ということです。
(先生はこのような言い回しはしていません。また、私がこう解釈した、ということです。「そんなこと書いてなかったわい!!」という方、非常にごめんなさい。著者にもごめんなさい。。。)


今思うと、大学三年間、いろいろなことに首を突っ込んできました。
初まりは構造主義。それから哲学、NLP、インド哲学、仏教、フロイト心理学、ラーメン、空の思想、論理学などなど…なんか変なの混じってました?

しかし、私は一体この中のどれを武器にできて、どれを考え方の基盤とできたのでしょうか。
一体どれくらいがただの知識、うんちくになってしまったのでしょうか。。。

僕は今まで、謙虚で、学び続けなければならないと感じていました。
だから、一つの考えに固執するのではなく、多様な考えを取り入れたい、受け入れられる人間になりたいとも思っていました。

ただ、私はそれを今まで答えを出さない、考えない口実にしていたような気がします。
自分の考える方略をしっかりと持ち、筋道を持って自分なりの結論を出す。
そして、その際に著者が説いている「ディベート思考」や、私が今まで学んできた上にある多様な考え方や観点が役に立つのでしょう。
知識を力に。力を人生に。その時初めて教養が実を結ぶのでしょう。
それが「学ぶ」ということなのでしょう。
その大切さを学んだ気がします。