そうやってキッチリと言葉にして、後世に残ります。
するとそれが多くの批判にさらされ、少しづつ形を変え、
より多くの「事例」に当てはまるように書きかえられます。
その最後の「とりあえずこれが今のベスト論」が、哲学ということでしょうか。(完全なる持論)
さて、それは全ての学問に当てはまるのではないでしょうか。(完全なる持論)
科学の例がよく引き合いに出されますが、
ニュートン力学は「世界を記述する」理論として謳歌していたわけですが、
アインシュタインの理論がより多くを説明可能にしたことから、「第一線をおひき」になった。
(それでも使える限りでは簡便に住む前者が使われるそうですね)
言葉にしてキッチリと残しておくと、それを批判して、改善してくれる人が(自分含め)出る。
まるで鍛冶屋が刀を何度もたたくように、洗練していく。
その批判の歴史、改善の年月が、学問の立つところなのでしょう。それはまさしく権威です。
(上のは全て持論。。。)
* * *
私は、「キッチリ鍛冶屋論」を破棄し、「ふわっと豆腐論」を採択します。
私は、学問をつくれません。
でも、私は私を生かしていきます。それが仕事です。
私自身がよって立つところは、角々しくない、リロンブソーもない、
高くもない、ノイズもない、固くもない、
苦しくない、そういうところがいいです。
「叩いて曲げる」のではなく「ふわっと包んでとりだ」したいのです。
それはふわっとした豆腐を包み込むような、
夏の日の午前二時に、雨の後、生ぬるい匂いのする木漏れ日の中を歩いている時のような、暖かくな眼差しのような世界観だと思います。
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