この年になると、昔の自分に感心するものなのか。
それとも自分が忘れっぽいのか。
はたまた退化しているのか。ひえー。。。
* * *
幸せになりたいという願望は、少なからず誰にでもあるのではないでしょうか。
そんなとき、でも本当に私たちは、「幸せって何か」考えているのでしょうかね。しょう金。
というのも、「幸せ」というものは、それをピンポイントに狙って手にするものではないんじゃないでしょうか。
上の仮定の下、今回は少しばかし語ってみようと思いますよ。『語る大捜査線』ですよ。
* * *
「幸せ」ってどこにあるんじゃあぁぁああああ!!
どこにもないいんじゃあああああ!!
幸せは概念でしかありません。
具体物ではないのです。
もっと踏み込んでいきます。
「幸せ」は感情の一種と言ってしまっていいでしょう(大雑把なのでお怒りになる方もおられるかもしれませんね)。「幸福と感じる」ことです。
では、感情はそれが何かに先行するものなのでしょうか。
私はそうは思いません。
誤解を恐れずに言うと、
『「幸せ」は感情なので、副次的なものでしかない』
ここでいう「副次的」とは、「それ自体が最初にあるのではなく、何か他のことがあって得られる」と定義しておきますよ。辞書的なものは…なにそれおいしいの(流行に乗った)
そして上の文を別の言葉で言いかえると、
『何か他のものがあって初めて幸せを感じる』
となります。
具体物ではない、ましてや、それ自体が初めにポンとそこにあるわけではない。
それを「探す」というのは、なにか空をつかむような心地がするのは、全く道理にかなったことだと思います。
ということで、巷で言う「幸せを探す」というのは不毛だと感じています。
僕の大好きなバンド The Frayも歌っています。
Happiness is like the old man told me:
"Look for it, you'll never find it at all.
But let it go, live your life and leave it.
Then one day, you'll wake up and she'll be home."
Don't try to find happiness, but try to find and do what you'll be happy to do...
(追記)
ただ、上でも書いたように、
「幸せになれそうか」
というのは、迷った時の試金石になりえるのは言うまでもありませんね。
また、より多くの幸せを、
今していることや日常から掬いあげて、
それを胸の中で愛することも。
0 件のコメント:
コメントを投稿