①枝葉よりもまず幹をしっかりさせる
文法指導に関して、僕が高校から大学に入る頃に一番考えていたことは「枝どころかその先っぽの枯れ葉みたいなことに気を取られているのでは」ということでした。
先生側としてはそのような意識はないかもしれません。
しかし、僕の意識の中にはいつも「コラムや注に書いてあるようなことがテストできかれる」という思いがありました(これは僕が愚かなくらい満点を狙っていたためもあるかもしれません。また幸運なことにぼくはそこまで時間をかけずに基本が分かってしまういやらしい生徒だったとも思います)。
つまり、テストに出るのは大まかなところよりも寧ろその例外にあたるものだ、と思っていた訳です。
大学に入って英語を話す、聞く機会が増えてくると特に上の気持ちが強くなっていきました。
なぜなら読み書きに比べて、話し言葉では更に細かなところに気を使わない(使えない)からです。
細かな「例外」等よりも、まず先に大まかな「基本のルール」にいかに習熟しているかが大切だと感じた訳です。
自分は教師としてまず基本のルールをしっかり習熟し、そして例外は注意事項としてその後で学ぶことを考えさせたいです。
これは前回のポストの「波及効果」にもつながるところだと思います。
基本的ルールにきっちりと習熟していることで大部分の点数がとれるような試験を作ることだと思います。
②教育文法
これも大学で学んだ考え方で、教育文法があります。
文法の学習が第二言語習得そのものなのではなく、文法指導は第二言語習得の補助をするものである、という考え方だと理解しています。
外国語環境だと、どうしてもインプット量がすくないです。
本来インプットの中で気づいて習得していくものである文法にも、気づきが生まれません。
そこで暗示的に、もしくは明示的に教えていくことで習得を促進させようとするものだと考えています。
日本は英語のインプットを自然に大量に浴びることは難しい環境だと思います。
したがって、文法指導をバランスよく取り入れ、インプットを取り込みやすくすることが大切だろうというのが、僕の今の考えです。
きれいごとではなく、「文法指導はコミュニケーションの基礎となるもの」にしていく必要があると思います。
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