2013年3月17日日曜日

今考えていることをつれづれ書いていくシリーズ 〜生徒指導〜

生徒指導ほど、僕が書きたくないものはありません。笑

生徒指導できる自信はあまりないです。それには二つ理由があります。

一つ目の理由は、大学で学んだ感じがしないこと。(これだけで僕が不真面目だったのがばれますね笑)

二つ目の理由は教育実習での経験です。

中学校での実習では、先生にとてもお世話になりました。とても良い先生で、ある程度の必要な手綱をひきながら、ある程度自由にさせて下さいました。

しかし、書きづらいですが、その先生はあまり子ども達に好かれていませんでした。

もちろん、子ども達に好かれればいいのではありません。子ども達に嫌われようが、正しいことはきちんと説き、時には大声で叱る必要もあります。

しかし、同時に子ども達に嫌われては、その伝えたいことを知らんぷりされてしまうのでは、とも同時に懸念してしまうのです。

愛情を感じさせる、全力でぶつかり合える教師であれば、そのような歪曲した懸念もなくなるのかもしれません。


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4年生の前半、ある中学校でボランティアをしました。また、小中高全校種で短いですが教育実習を経験しました。

それらの経験で、いくつか生徒指導の「スキル」のようなものも学んだ気がします。

そしてそれらに共通するのは、

喜怒哀楽をはっきり見せること

です。

子どもは何を考えているのか、どう感じているのかはっきり分かりやすいと安心できるし、ついていきやすいと思います。

そういう点で、はっきりと感情を表せることは一つ重要だと思います。

発達段階に会わせた指導や、子ども達に考えさせることなど、他にもたくさん大事な生徒指導のポイントはあると思います。

これから実際の指導で考えていかなくてはならないと思っています。



あとは、自分が今までどんな経験を人生で積んできたか、というのもとても大きな要因なのではないかと思います。

どんな人間になれているか。

こればっかしはもう改善の機会も少なくなってきているのですが笑

2013年1月8日火曜日

物件探しの心得

この度、社会人として生活を始めるために転居することにしました。
年末年始にかかって、準備は1ヶ月以上。
インターネット上で見た物件は100を超え(ほんとに!)
実際に内覧に言った物件は10を数えました(ほんとに!!)。
不動産屋さんにはあからさまに「見過ぎです」と言われる始末。
挙げ句の果てには、すでにこの業界への転しょk(規制)

なにはともあれ昨日やっと決まったのですが、
素人なりに、この闘争で個人的に感じた「物件探しの心得」をまとめておきます。
「どのような物件がいいか」ではなく、「どのように物件をさがすべきか」です。

ポイントとしては以下の3点です。
①見すぎるな
②不動産屋はしぼれ
③とっとと決断しろ

まず①。ぼくは明らかに物件を見すぎました。
何が起こるかと言うと、見る物件が重複していくのです。
インターネットでも不動産屋でも「あ、これ見た・・・」が頻発。
確かに良い物件が見つかる可能性は高くなりますが、これではかける時間とそれによるrewardのバランスが悪いです。
見ながら自分の希望に大体沿うような物件が見つかったら、とっとと内覧申し込みましょう。
そこで不動産屋に行けば、さらに違う物件を紹介してくれます。

そして②。
何度でも言いますが、まわる不動産屋はしぼりましょう。
これは僕の大きな誤解でした。
不動産屋はせいぜい2軒でいいです。
なぜなら、不動産屋が持っている情報というのは多くが共有情報なのです。
それぞれ独自の情報網を持っている訳ではありません。
従って、不動産屋は1軒で心中してもかまわないと思います。

最後に③。
僕は1月前から準備を始めていました。
しかしそれでも僕が物件を探している最中に目星の物件が先に取られたりしました。
1月でですよ!これには僕もびっくりしました。
つまり物件を探している間は、相当速いペースで段取りを進めていく必要があるでしょう。
しかし、早すぎると賃料発生も早すぎてよけいな料金を払うことになります。
賃発は予約2週間後が普通のようです。
ですから目安入居1ヶ月前から初めて、準備期間の2週間は集中して探せるようにすることが大事かと思います。
また、少しくらい早すぎても交渉で賃発を送らせることは1、2週間なら可能だと思います。


物件探しを終えた今、次なる興味はインテリアの構想と雑貨、そして新しい街の開拓にあります。
感じとしては、妄想が暴走。です。

今考えていることをつれづれと書いていくシリーズ(文法指導)


①枝葉よりもまず幹をしっかりさせる

文法指導に関して、僕が高校から大学に入る頃に一番考えていたことは「枝どころかその先っぽの枯れ葉みたいなことに気を取られているのでは」ということでした。

先生側としてはそのような意識はないかもしれません。

しかし、僕の意識の中にはいつも「コラムや注に書いてあるようなことがテストできかれる」という思いがありました(これは僕が愚かなくらい満点を狙っていたためもあるかもしれません。また幸運なことにぼくはそこまで時間をかけずに基本が分かってしまういやらしい生徒だったとも思います)。

つまり、テストに出るのは大まかなところよりも寧ろその例外にあたるものだ、と思っていた訳です。

大学に入って英語を話す、聞く機会が増えてくると特に上の気持ちが強くなっていきました。

なぜなら読み書きに比べて、話し言葉では更に細かなところに気を使わない(使えない)からです。

細かな「例外」等よりも、まず先に大まかな「基本のルール」にいかに習熟しているかが大切だと感じた訳です。

自分は教師としてまず基本のルールをしっかり習熟し、そして例外は注意事項としてその後で学ぶことを考えさせたいです。

これは前回のポストの「波及効果」にもつながるところだと思います。
基本的ルールにきっちりと習熟していることで大部分の点数がとれるような試験を作ることだと思います。


②教育文法

これも大学で学んだ考え方で、教育文法があります。

文法の学習が第二言語習得そのものなのではなく、文法指導は第二言語習得の補助をするものである、という考え方だと理解しています。

外国語環境だと、どうしてもインプット量がすくないです。

本来インプットの中で気づいて習得していくものである文法にも、気づきが生まれません。

そこで暗示的に、もしくは明示的に教えていくことで習得を促進させようとするものだと考えています。

日本は英語のインプットを自然に大量に浴びることは難しい環境だと思います。

したがって、文法指導をバランスよく取り入れ、インプットを取り込みやすくすることが大切だろうというのが、僕の今の考えです。

きれいごとではなく、「文法指導はコミュニケーションの基礎となるもの」にしていく必要があると思います。